ピアノの先生の幼少期〜先生になるまで。今更ですがプロフィールを…。

Sakiピアノ教室主宰の飯沢紗希です。
いつも教室HPをご覧いただきありがとうございます。

今回は改めてプロフィールを公開させていただきます。

講師プロフィール

香川県出身。
3歳よりピアノを始める。
小学生の頃より数々のコンクールに出場し、金賞受賞、全国大会出場など上位入賞を多く果たす。

高松第一高等学校音楽科卒業、桐朋学園大学音楽学部ピアノ専攻卒業。
卒業後、同大学カレッジ・ディプロマコースにて研鑽を積む。
これまでに長船恵美、合田延子、市原珠美、永野美佐子、奈良場恒美各氏に師事。

在学中に、オーストリアのザルツブルクに短期留学をし本場の音楽に触れる。
モーツァルテウム・サマーアカデミーに参加しClaudius Tanski、Dina Yoffe、Arnulf von Arnim各氏のマスタークラスを受講しディプロマを取得。

在学中より地元香川県、東京都を中心にさまざまなコンサートを開催、出演しソリスト、伴奏ピアニストともに好評を得ている。

高等学校教諭一種免許(音楽)所有、リトミック研究センター上級資格所有。

2014年よりSakiピアノ教室を開講。
2019年に第1子を出産し、子育てをしながら、たくさんの生徒に音楽の楽しさを伝えている。

はい!!

ここまでが通常のプロフィールです。
コンサートなどでよく使っているテンプレートのプロフィールです。

良い事総まとめのプロフィールです(笑)

今回はいい事もそうじゃない事もさらに詳しく書かせていただきます!

さらに詳しいプロフィール。かなり長いので見たい方だけどうぞ⇩

生徒のお母さん方とお話ししていると、私のことを「幼少期からピアノを懸命に頑張ってきたエリート生徒」と思われているようです。
が、そんなことは一切ありません…!(笑)
実際どんな幼少期を過ごしたかお話しすると「先生でもそうだったんですね!少し安心しました~!」と言っていただけます。
と言うことで包み隠さず書ける範囲で細かいプロフィールを書かせていただきます。

幼少期~小学生時代:頑固で活発な少年みたいな子供

私は両親が音楽家の家庭で生まれ育ちました。
父はピアノがよく弾けるオペラ歌手(声楽家)、母はピアノの先生です。

そのため、疑うことなくピアノに触り、弾き始めました。
何歳から弾いていたかは謎ですが、おそらく3歳ころから母にピアノを習ったようです。

母もたくさんの生徒を抱える先生だったため、レッスンは母のレッスンの始まる前か合間だったように覚えています。
とにかく気の強い子供で、〇がもらえなかったら駄々をこね、自分で〇を書いて反抗していたのはどの本のどのページだったかまではっきり覚えています(笑)

初めての発表会は確か年長さんの頃。「人形の夢と目覚め」を弾きました。

小学時代も変わらず母にピアノを習いました。

とにかく活発な子供で、外遊びが大好き。

運動がとっても得意でした。
休み時間になると、男子に交じってドッジボール!
運動会では地区対抗リレーの代表選手に毎年選ばれ走る!
夏になると小学校で毎日何時間も泳ぎ、県大会に出る!

はい!一応ピアノはやっていましたよ。

ただし、練習がとにかく好きじゃない子供で、毎日弾いてはいたのかどうかも覚えていませんが15分弾いて「弾いたよ!」と自慢げに母に言っていたのは覚えています。

小学時代はコンクールが私を大きくしてくれていました。
練習はしませんでしたが、年に約4回ほどの本番があり、コンクールのために曲を仕上げる毎日でした。
そのためやっておくべき教本はほぼ弾かないまま次の本へ移っていっていました。(のちにテクニック不足、バッハが苦手の原因になる)

母とのレッスンもうまくいかなくなってきたのが小学校4年生頃。
ピアノではあるあるですが、私がとにかく反抗!
全くレッスンにならないことが2年くらい続きました。

そして小学校5年生の時にようやく母以外の先生からレッスンを受けることになりました。
それが合田延子先生です。香川ではとっても有名な指導力のある先生です。
母の恩師でもあります。

合田先生の教室にはとってもレベルの高い生徒さんばかり。
1日の練習時間が「6時間練習」や「10時間練習」、なーんて話を聞きびっくりしました。
当時私は多分15~30分…(笑)
先生にも「4時間くらい弾けるでしょ~!」と言われていた気がします(笑)

「上手な子は練習している」という当たり前のことに気づきました。
このあたりからコンクール前は5時間練習したり、練習時間が長くなっていった気がします。

ピアノからさらに離れた中学時代。たくさん母を困らせた。

順調にピアノの練習の大切さに気付き、実際に演奏も成績もよくなってきた頃に初めての挫折を経験しました。
とあるコンクールで入賞せず、参加賞のような奨励賞でした。
小さいころからコンクールによく出場していたのもあり、「先生のところの娘さん」であり、金賞取るのが当たり前であり、良い成績でなかったら「今日はどうしたの?」と。
今思えば勝手な妄想だったのかもしれませんが、そのプレッシャーに負けてしまいました。

ちょうど思春期だったこともあり、コンクールには出場するものの、ピアノからは離れていきました。
英語の授業など全く関係ない場面で「ピアノ」という単語が出てくるだけで嫌になる日々。

母とは「もうピアノやめる」と何回もぶつかり、何とか音楽を続けてほしい…と当時私が興味を持っていたフルートを買ってくれました。
父は私がよっぽど練習しなかったからか、趣味で続けると話したら「ピアノ捨てるよ」と。(父は覚えてないらしいですが(笑))

きっと両親も必死だったんだと思います。

遅くまで友達と遊び、練習せず、本当に「反抗期」でした。

転機は高校受験。受験失敗したらピアノやめる。

2回目の転機は高校受験でした。
香川県は日本で一番小さい県ながら、2つの音楽科がありました。

地元の進学校に進むのも嫌で(反抗期!)、高松第一高等学校の音楽科の推薦入試を受けることに。
音楽科の試験なので、ソルフェージュ試験、ピアノの実技試験、面接(あったかな?)がありました。
ソルフェージュは受験のため、父に習いました。
「この受験に失敗したら、どこの高校にもいかないから!」と。(反抗期!)

結果は無事合格。

そして、入学してから、周りのレベルの高さにびっくりしました。
音楽科は1クラスしかないので、同じ門下の子も、コンクールで上位入賞してた子も3年間を共に過ごすクラスメイトに。

私は根っからの負けん気が強かったので、入学して早々「この学年でピアノと言えば私!って言われるレベルになってやる」と思いました。

実家から高校のある高松まで、電車を乗り継いで片道約2時間~3時間。
先生の教室も高松だったため、学校帰りにレッスン。

平日はあまり練習時間は取れませんでしたが、電車の中で譜読み、勉強、休みの日にある程度仕上げるという練習方法でした。
平日は家では1時間ほど(学校でも休み時間に出来ました)、休日は8時間弾くのが普通になっていました。

高校3年間で休みの日に出かけたのは片手で数えるくらいしかないほど、ピアノに打ち込みました。

大学受験が第3の転機。受験を通して演奏がガラッと変わる。

今でも大切な高校のクラスメイト、音楽仲間でありライバルたちと切磋琢磨した3年間で私の中でピアノを弾くことは当たり前のこととなっていきました。

そして大学受験。
私はいわゆる「滑り止め」は受けませんでした。

東京音楽大学、愛知県立芸術大学、そして母校である桐朋学園大学を受験。
結果はすべて合格

当時の受験前の演奏では考えられないことでした。
受験を通して演奏がガラッと変化しました。

音楽の作り方、音楽との向き合い方が、受験の時に数か月だけお世話になった永野美佐子先生の指導で大きく変わりました。
先生は愛知県芸の先生で、私は桐朋学園大学への進学を選んだのでたった数か月になってしまいましたが、私の中では大きな転機でした。

そして桐朋学園での生活。

言うまでもなく、レベルの高い生徒ばかり。
高校時代にあった自信は大学時代に木っ端みじんに砕けました(笑)

授業中や休み時間に突如始まる弾き合い会、練習室で練習していると、隣から同じ曲を超絶上手に弾かれたり…
レベルの高い人は、意識も高いし、プライドも高い!そして、私の比じゃないくらい、負けん気が強い!!(誤解の無いように書きますが、みんな普段はいい人です!!)

そして変人ばかり!!(笑)(これは本当にそう。)

私は地元の演奏会では自分の色が出せ、のびのび弾けるのに、大学内では体が硬直してしまい、自信のなさそうな小さな演奏しかできませんでした。

大学の時に師事した奈良場恒美先生には、基礎から指導されました。
本当に基礎中の基礎、ハノンを大学のレッスンでしていました。

これ、普通に考えられないことです(笑)
小さいころに大事な基礎練習をしてこなかったため、基礎が全く身についていない状態で大学までいっていたのです。

バッハもインベンションからやり直しました。
「テクニックが伸びるのは20歳まで」と言われ必死にテクニックを磨き続けました。

大学では朝の5時から夜の10時まで練習室が借りれるのですが、練習室の数が圧倒的に少なく、取れた日はラッキーでした。

そして、大学の体育の授業は体の使い方の授業でした。
緊張のコントロールの仕方、演奏においての体の使い方、メンテナンスの方法など、大学の体育授業で得た知識は後の演奏活動や今のレッスンで大きく役立っています。

大学3年生、4年生の頃にオーストリアに短期留学。本場の音楽を知る。

大学では夏になるとフランス、ドイツ、オーストリアなどのヨーロッパに「サマーアカデミー」を受けに行くのが当たり前の環境でした。

夏休みはとても長かったため、生徒の半分くらいはサマーアカデミーに参加しに海外へ行っていたような気がします。

私はオーストリアのザルツブルクのモーツァルテウムサマーアカデミーに参加し、大学3年の時に2週間、大学4年の時には1か月生活しました。
路上では日本で考えられないクラシックのストリートミュージック、日曜には教会でミサ、澄んだ空気の中で弾くピアノの音は私の中でとっても良い勉強になりました。

そしてここでも基礎テクニックの無さに気づかされます。

サマーアカデミーに参加し、コルトーのピアノメソードという楽譜の存在を知りました。

単純ですがとっても難しく、とっても大事な技法です。
ハノンよりはピシュナ寄りな楽譜です。

帰国後私はすぐに楽譜を買い、練習を始めました。
効果は絶大だった気がします。

そしてレベルの高い大学生活を終え、さて卒業後どうする?と考えだしました。

大学卒業後、さらに1年猶予を持たせ、ピアノの先生に。

卒業後、「まだ東京で頑張りたい」という希望がありました。
両親も同じ考えでした。

なので1年間桐朋学園大学のカレッジディプロマコースに在籍することにしました。
在籍しながら将来を考えることに。

そして出した結論が「知り合い0の土地、八王子でピアノ教室を開きたい」でした。

知り合いが全くいない、この八王子で教室を開き、初めはアメブロを書き、HPを作り、毎日ポスティングをしました。
生徒の皆さんに認知していただけ、たくさんの生徒に巡り会えるまで、大変でしたが、あっという間でした。

教えていくうちに教える楽しさに気付き、仕事が大好きに。
そうなれたのも生徒のみんなのおかげ。

本当に感謝でいっぱいです♪

これからもよろしくお願いします。

そして、こんなに長い長文を最後までご覧いただき、ありがとうございます!!

ご覧いただきありがとうございました。
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